啄木と折口 マネとセザンヌ

1910年(明治43年)12月
石川啄木は24歳で処女歌集『一握の砂』を出版した。
一つ年下で、国学院を出たばかりの折口信夫は熱心にこれを読み込み、ひとつひとつの歌に評価と書き込みを残したそうで、なかでも後に折口が
「私はこれを読んで、啄木は初めて完成に達したと考えました」
っと絶賛した歌:
  高山(たかやま)のいただきに登り
  なにがなしに帽子をふりて
  下り来し(くだりきし)かな
折口のこの歌への評価は
「それまで我々が表現しようともしなかったものがとらえられている・・・
 つまり啄木が、新しい発見をしたのだ。心の底に潜んでいる微動を捉えることができたのだと、おどろいたものだ」
と、最上級のものとなっている。
山頂からの景色や気分を詠まずに「なにがなしに帽子をふりて」と詠んだ啄木への折口の称賛は後に
「しかし今考えてみると、それは発見というよりも創造というべきもので、頂きにのぼりれば何かありそうなものを、その事に触れないで下がってきた。帽子を降ってーーというのは、啄木の行った人生の延長、生活の創造だ。この頃はそう思っている」
折口のこの評価の変化が何によるのか分りませんが、折口は啄木のこの歌に
「新藝術のむかふべき方の暗示を見る」
と、書き込みを入れているそうです。

これはセザンヌが晩年に、マネの「オランピア」を評して語った言葉を思いおこさせる。
「これこそ絵画の新しい状態だ。我々のルネサンスはここから始まっている・・・物の絵画的な真実というものがひとつあるのだ。このバラ色とこの白の色は、それを見るまでは我々の感受性が知らずにいたひとつの道を通ってその真実に我々を導いてくれる・・・」セザンヌ ガスケ著 與謝野文子訳

… It’s a new order of painting. Our Renaissance starts here… There’s a pictorial truth in things. This rose and this white lead us to it by path hitherto unknown to our sensibility…

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